藤久保

藤久保は竹間沢の西北に当り、村の中央より稍々東に偏し、東京街道の両側に係れり。 東西十三町、南北十六町許にして、戸数一百内外、此地寛永八年の開墾にして、其当時は東方鶴瀬に接せる小池の辺に人家を造りしも、東京街道の変通繁きに及び今の処に居を移せりと云ふ。 其移転は正保元禄の間にあるべし。

始居住せし凹地に元屋敷の小名あり。 又藤久保の名由て生する所も此凹地に喬木あり、藤羅之に攀縁して、壮観なりしに基くと云ふ。

稲荷神社

村の南方、字南新野にあり。 木ノ宮稲荷と称するものにして、村社也、八坂神社、浅間神社をも合祀せり。

広源寺

村の中央、字西と称する処にあり。 曹洞宗、渋井蓮光寺末也。 開山は僧呑海にして、創立は寛永十六年なりと云ふ。 又或は呑海の示寂を慶長二十年十一月二十三日と、なすものあり。 之によれば寺の建立尚少しく早からざるべからず。