中富

中富は村の東部に位し、東西十五六町、南北十町内外、戸数百、元禄七年(亀久保村の民喜平次と云へるもの来り開発す)より開墾に着手し、同九年の頃より村落の体裁をなすに至れり。 同年検地行はる。 川越城に属し、明治以後下富に同じ。

神明神社

村の北方、字月の原と云ふ処にあり。 宝暦八年六月の創建也。 中富及下富の鎮守なりしを近来富岡村中の神社(但北中小手指明神だけは小手指村北野神社に合する筈)全部を合祀し、村の総鎮守とせり。 境内毘沙門堂多聞院に連り、広濶にして、桜樹十数本春を待てり。

多聞院

月の原にあり。 新義真言宗にして、四谷愛染院末、宝塔山吉祥寺と号す。 元禄九年の開創にして、開基は柳沢出羽守、開山は本山第四世栄仁也。 現住を柳沢弘真と云ふ。 創立当時の寺観にして、唯山門を失ひたるのみ。 傍に毘沙門堂あり。

毘沙門堂

多聞院境内にあり。 毘沙門天は古老の伝説によれば、武田信玄の守本尊にして、柳沢出羽守の安置せる所なりといふ。 信者多し。