古記なけれど伝説には近江国月吉山王を分祀寺と云ひ。或は式内国請地祗社ならんと云ふものもあり。七社とは勝楽寺各字に鎮坐せる社跡六ヶ所ありしを何時の頃か之を此処に合して七社と名けしものならんと云ふ。凡て皆否也。風土記に曰く蔵王、聖女、八王子、大行事、手御子、副行事、権現の七坐を祀ると。此の種の神社の性質上風土記の説を首肯せざる能はず。社は高台にあり。正安、寛永、天明等の年代に社殿の造修営あり。村社にして、四十年無格社一を合し、四十一年指定村社となる。