矢荻にあり。宮寺山無量寿寺と号す。新義真言宗にして、多摩郡中藤村真福寺末也。中興の開山を知養と云ひ、元和五年十一月十五日寂せり。今の本堂は草尾根にして、古風、頗る大也。山門なく、二本の大杉立てり。又閻魔堂あり。風土記に曰く。
相伝ふ。此寺に昔宮守西勝と云ふもの住せりと。西勝の事は記録なく、知るに由なしと雖、東鑑にも正嘉の頃の人に宮寺蔵人政員など見えたれば、西勝は其族なるにや。
と。一説也。里伝によれば寺地は宮寺五郎家平の居地にて、其の間南北朝の頃加納下野守の住せし処、今は境内に土居の跡を見る。寺は何れの頃開創せられしやを詳にせずと雖、古は今の大御堂の地に存し、慶長十年中興開山智養。改めて加納氏の館跡に移せるなりと云ふ。文化年中火災あり、其十三年再興す。明治四十二年円乗寺を合せり。