中藤上中下郷は即ち村の北部の峡谷にして、飯能町より子ノ山に赴く径路也。戸数大凡百五十。風土記に曰く「村民の生産多くは山沢の利潤によりて年分の営する由、薪炭は勿論山木を伐て中藤川により江戸へ出す」と。
境内に天神社及礒前社あり。
上郷にあり。天文二年赤沢金錫寺三世笑観の創立にして、弘治二年寂す。墓碑あり。文久三年三月焼失し、今は仮舍を以て之に充つ。
宝林山と号す。真言宗の一寺也。
大慈山と号す。真言宗也。開山天外、正嘉元年十月寂せりと云ふ。