星宮神社
康永二年十一月三日秩父住人畠山重俊の創立にして、当時は日影郷の鎮守なりしが、元亀二年六月三日加治修理大夫岡部小次郎ノ佐及林民部少輔拝殿を造営せし棟札今尚存せり。後年暦不詳本殿の朽敗を恐れ拝殿の奥に移す。社後に檎の大木あり。周囲一丈八尺。
赤沢は村の西南部也。戸数百二三十。
風土記に曰く、「農隙に紙漉を業とするもの古よりありて今尚十四五戸あり。其他は山稼なり。利潤の遍きこと又少からずと云ふ。紙舟役銭と云へるもの古より今尚貢す」と。
康永二年十一月三日秩父住人畠山重俊の創立にして、当時は日影郷の鎮守なりしが、元亀二年六月三日加治修理大夫岡部小次郎ノ佐及林民部少輔拝殿を造営せし棟札今尚存せり。後年暦不詳本殿の朽敗を恐れ拝殿の奥に移す。社後に檎の大木あり。周囲一丈八尺。
曽て「奉掛看観音鰐口一丁上州勢田郡安旧郷元亀四年三月十五日赤右馬佐敬白」と記したる鰐口ありきと云ふ。
大房にあり。河清山と号す。建長寺派の臨済禅寺也。正中元年九月古心鏡の開山也。嘉暦二年三月堂宇成る。古心鏡貞治五年九月寂す。古碑あり。唯開山の二字を弁ずるのみ。清水、寺下を流れたり。
久林山と号し、能仁寺末。
明王寺、金錫寺末、開山心峯、天正五年寂す。
橋向山、金錫寺末、開山輝臾、至徳元年七月寂。風土記に曰く「古き過去帳に霊光院殿心月了松大居士、加治兵庫大夫頼胤享禄元年十月十九日逝、鎌倉上杉へ御奉公、当村の薬師堂の棟札にあり。清徳院殿源仲本公大居士加治修理亮胤勝、弘治三丁巳三月廿一日、北条陸奥守氏照公、興武院殿雄室全英大居士加治左衛門信胤、天和八壬戌四月廿二日江戸へ御奉公とあり。寺の傍に五輪石碑あり。是も加治氏の墓碑なりと。碑面剥盡して文字見難し」と
松平山と号し、金錫寺末、開山大陽、永徳三年寂す。