上赤工は原市場の北に接し、下赤工は上赤工の東に続けり。古は一村なりき。戸数一百弱。赤工一名を畑中とも呼びしと云ふ。今は小字に畑中あり。
畑中にあり。元禄年中、右太平妻が建立せし所にして、明治五六年の頃焼失せり。地蔵厨子の扇に。
朝日さす夕日輝くかのがへのよつどめの木に黄金千枚。
と刻し、かのがへは原市場より中藤に通ずる名栗川左岸の山脈一帯の地、即鹿ヶ入の地なりと村民は解せり。而して降雪の日も其所には雪の積ることなしと云ふ。此類の歌若くは伝説は諸国至る所にあり。偶々郡内には原市場に於て其一例を見たるのみ。