氷川神社
宮小路にあり。元西高倉の産土神なりしが、維新の時、総鎮守となり、村社に列せらる、又付近の八坂社を合す。
高倉は町の西部にあり。戸数一百余。其浅間社の高台は明治十六年近衛兵演習の時、明治天皇陛下親しく戦況を視察せさせ給へる処也。
宮小路にあり。元西高倉の産土神なりしが、維新の時、総鎮守となり、村社に列せらる、又付近の八坂社を合す。
富士窪にあり。社地は高台也。神体は円鏡なるが如く、天文二年と刻せりと云ふ。四十年氷川神社に合す。
中小路にあり。能仁寺末、開山天良、天正十八年寂す。寺は今より百年前焼失し、殆ど見るべきものを残さず、観音堂あり。