亀井神社
字大芦にあり。旧無格社自髭神社、寛弘三年三月十七日の創立也。天保三年三月再建す。明治四十年八月一日入西村善能寺村社笠山神社を合祀し、亀井神社と改称せり。更に同時に柏原新田無格社八雲神社を合祀せり。四十一年八月指定村社となる。
上奥富の北に当り、村の北部を占む。戸数二百五六十。
字大芦にあり。旧無格社自髭神社、寛弘三年三月十七日の創立也。天保三年三月再建す。明治四十年八月一日入西村善能寺村社笠山神社を合祀し、亀井神社と改称せり。更に同時に柏原新田無格社八雲神社を合祀せり。四十一年八月指定村社となる。
字子袋にあり。創立年月不詳、旧よりの産土神にして、明治五年村社となり、四十二年四月一日無格社、八幡、神明、浅間、三島、厳島及愛宕神を合祀せり。
天台宗仙波中院未、薬王山地蔵院と称し、開山尊栄、永禄十一年当寺を草創し、天正十二年七月十一日寂せり。其後元和九年家康川越に放鷹し、当寺へ渡御し、其後も渡御あり、寛永元年十一月十五日、二年十一月、三年二月八日、四年二月十三日、七年二月十五日の六度に及ベりと云ふ。其時の休息室を賜はり、松平伊豆守より之を客殿に用ふベき旨伝達あり。後回禄にかゝれり。境内に御詞の梅あり。家康其花盛りを賞せしものなりと云ふ。然れども家康は元和二年に甍ぜり。寺伝甚しく誤れり。楼門に安永三年九月と刻せる鐘を掛く。