白髭神社
北本宿にあり、村役場及小学校に隣す。村社にして、村の総鎮たり。猿田彦命を祭る。明徳四年半貫内膳なるもの村民に謀て、之を再建せりと云ふ。社後に周囲二丈五尺に近き大欅あり。最近に至り村内の諸社は殆ど凡て此処に合祀せり。其主なるもの左の左し。
北本宿にあり、村役場及小学校に隣す。村社にして、村の総鎮たり。猿田彦命を祭る。明徳四年半貫内膳なるもの村民に謀て、之を再建せりと云ふ。社後に周囲二丈五尺に近き大欅あり。最近に至り村内の諸社は殆ど凡て此処に合祀せり。其主なるもの左の左し。
北本宿にあり。応永二年の再建、社地に二丈四五尺の老欅あり。
半貫にあり。応永元年の創建。
高根にあり。寛永年中の再建。
北本宿にあり。小学校の北隅。
城の越にあり。城中の鎮護なりしと伝ふ。
御所之内にあり。真言宗新義派、大智寺末也。応永中再建し、弘化四年焼失す、今は仮堂を存す。墓地に「□□三年」、「永和四年」、「明徳二年」(此碑は砦跡より出てたり)の板碑あり。鐘楼は十年以前、砦跡の丘上に移したり。宝暦年代の鐘を掲く。
中本宿にあり。宗派及本末永代寺に同じ。元亀年中の再建と称す。
宮原にあり。天台宗行人派、東京音羽普門院の末也。其本尊大日如来は天文年中まで増田氏に伝はり其持仏なりしが、同九年高麗、多東等三郡の行人に計りて、増田正重が開基する所、寛永十四年より三郡の錫杖頭たり。寺の東に接して墓地あり。
中本宿にありて、円光寺の北方に位す。真言宗律派東京湯鳥霊雲寺末也。寛保二年高健比丘和尚の再建にして、其以前は常楽寺末、天台宗行人派なりしと云ふ。寛延元年徳川右衛門督宗武の寄附せし石の宝筐塔一個あり。又八代将軍寄附にて四派の幟一個、又長髪あり。井伊掃部頭息女の寄附と号す。寺に大黒天を安置し、甲子の日甚だ雑沓せり。然れども近来稍々衰頽の色あり。
永代寺の西方にあり。
俗宗に還れり。元修験也。
長谷川氏の氏神にて、其屋敷内にあり。元古鏡を以て神体とせしも、今は木製にて之に模したり。
増田氏の氏神にして、神明に金山彦を配祀す。社は久しく荒廃に委せしも、近年修繕せり。社後の大槻周囲二丈三四尺あり。
宮原の北方水田と山林の間に位し、此塚の辺より鉄糞出づと云ふ。即ち増田氏の東北に当れり。