六道橋
字六道にあり、明治十六年近衛師団演習の時、明治天皇陛下御乗馬にて御渡橋あらせらる。
岩沢は村の東部に位し、東西南北各約十町、人家百十五戸あり、正保図及元禄改定の頃までは上下を分たざりしが、其後分村し、今は又合せり、新開の地二ヶ所も亦合せり、柿を産す。
字六道にあり、明治十六年近衛師団演習の時、明治天皇陛下御乗馬にて御渡橋あらせらる。
村の西部にあり、上州より相州に赴く街道にして南は阿須に達す。
字宮の西にあり。村社也。由緒によれば、霊亀二年の創建なりと。但し想像のみ。本社拝殿あり。社務所をも設けたり。別に境内に一社を設け、天満宮稲荷山神社、神明社等村内の諸社を合祀せり。
字中内平にあり、曹洞宗通幼派、金子村瑞泉院末也。一樹存松の中興にして天文二年十二月二十日入寂す。位牌に記せり。宝暦十二年境内ヘ一堂を建立し、地蔵を之に移したり。其後嘉永年間再び地蔵を本堂に移せり。観音堂あり、鐘は本堂に掲げたり。
字前原にあり、真言宗新義派比企郡今泉村金剛院末也。創立年月詳ならず(風土記には開山源海寛永十三年四月廿一日寂)但良海なるもの中興開山と称す。然ども良海入寂の年月不詳也。三世源誉万治三年八月十日寂せるを、古碑に見ゆ。此寺号は今熊谷に移し、跡に地蔵を存するのみ。