字中内平にあり、曹洞宗通幼派、金子村瑞泉院末也。一樹存松の中興にして天文二年十二月二十日入寂す。位牌に記せり。宝暦十二年境内ヘ一堂を建立し、地蔵を之に移したり。其後嘉永年間再び地蔵を本堂に移せり。観音堂あり、鐘は本堂に掲げたり。