字矢の目にあり。真言宗新義派にして、高麗村聖天院末也。応安六年九月十三日本寺聖天院五世重誉開基たるを旧記に存す。重誉は永和年間入寂せるを石碑にあり。寛保二年八月廿五日当村椙田五左衛門男得度し光運になり、中興開山となる。明和五年八月十五日入寂の霊碑今尚存す、本堂屋根高くして古風也、庫裡あり、別に虚空蔵仏を安置せる仏堂あり。其構造堅固也。境内雑草繁茂し、墓石の間小虫の鳴咽をきく。