力石塚
風土記に曰く、石を以て築きし塚にて周囲八九尺あり。来由を詳にせず。此塚に触るゝ人必ず瘧を病むと云ふ。土人恐れて近かず。と。今は此塚見当らず。
青木は村の西部に位せり。戸数約四十
風土記に曰く、石を以て築きし塚にて周囲八九尺あり。来由を詳にせず。此塚に触るゝ人必ず瘧を病むと云ふ。土人恐れて近かず。と。今は此塚見当らず。
今泉井と称する小名にして、青木氏の居地也。土地高台の中腹に位し、北するに従て降下し、南するに従て高上せり、思ふに此辺青木氏の館跡にして、特に城趾と云ふまでもなからん。青木氏が遠祖高麗人九百九十人を預り、丹波国より当国へ下れりと称するも茫然怪しむべし。青木氏丹党なりとすれば其祖は武蔵守丹治比県主也。依て或は高麗人移住の東道をなせりとの説を生じたるにあらざるか。邸内に丹生社あり、傍に鹿子木と称する珍樹あり。付近に青木姓多し。其支流なりと云ふ。