籠塚
風土記によれば、村の西南にあり、高二丈余、周囲二十間許、塚上に浅間の小祠を設く。塚は正治元年青木氏族討死の者を埋めし処なりと云ふ。と。
双柳(なみやなぎ)は村の西南部にあり。戸数百余、西境に堀米前と称せし処あり。飯能町中山の堀米と一村にして双柳の如きは其村中の一地方に過ぎざりし也。然るに双柳は土質不良なるを以て人家を之に移して一村となし、土質良き堀米を以て耕地とし、依て主容を転倒するの結果を生ぜしなりと伝ふるものあり。
風土記によれば、村の西南にあり、高二丈余、周囲二十間許、塚上に浅間の小祠を設く。塚は正治元年青木氏族討死の者を埋めし処なりと云ふ。と。
素盞鳴命を祭る、鎮守也。
双柳山観音院と云。比企郡今泉金剛院末、開山良慶、慶長中の人也。明治元年飯能戦争の時兵燹にかゝれり。