平沢上中下組は村の北部を占めたり。
元一村にして、元禄二年新開地田波目を併せ、後元文三年代官田中休蔵支配の時より、上中下三組とし、且田波目を分離せしが、三組常に領主を同くし、密接の関係を保てり。 小久保氏には永禄の古文書を蔵しき。
四十一年三月平沢上中下、田波目の四大字は村社を合し芝宮、七面、神明を境内社として合祀し村社天神社と称す。
上組にあり、川越中院末。
中組にあり。 川越中院末、応永年間村民小久保某此地に隠居せる庵なりしを何時か一寺となせりと云。
下組にあり中院末、天文九年栄宝開山なりと云ふ。
下組にあり、中院末、至徳二年忍西開すといふ。