倉ヶ屋戸口にあり。 仙波中院末、後村上天皇の御宇曹洞宗元二遍公和尚(貞治五年入寂)の創立にして、興学寺と号せり。 後慶長年間宗賢法印天台宗に改めたれば、之を中興開祖とす。 開祖元二の古塔今も存す。 天海は宗賢と法縁あるに由て、直筆の由緒書及延命寺の称号下附ありしが、明和の火災に凡て失へり。 寺は境内幽邃、泉石の趣あり、寺堂も亦整へり。