西光寺

字新田前にあり。 曹洞宗龍ヶ谷龍穏寺末にして、宝福山と号す。 其開山は本寺二十世撫州春道にして正保三年寂す。 従て開創年代は寛永二十年の頃に属す。 然るに先是、西光寺は真言の一寺にして、上杉氏の臣小島豊後なるものゝ開基也。 豊後の子越後と称し、天文十五年以後北条氏に属す。 其現主を小島佐次郎と云ひ、今尚寺の西隣に一家を構えて、先祖の木像を所蔵せり。 寺辺を訪へば土堤の跡若干を存して、小島氏と西光寺との両者を包みしが如し。

寺の境内に薬師堂あり、其薬師の木像は蓋し名作也。 其他郷楼あり、小島氏、勝呂氏、高麗氏等の墓地あり、墓地中に散見する板碑には元徳三年四月十九日と刻せるあり。 貞和四年戊子十月十二日妙西等と刻し、貞春法位寛保二…正月三十日と刻せるものは恐らく後世の重刻に外ならざるべし。