勝呂神社

従来の白山神社にして、字勝呂にあり。 村社也。 寛和二年鎮坐、建保元年須黒太郎恒高再営、寛永十九年再営と伝ふ。 寛永以前の事は未だ断定するに由なき也。 明治四十年、並木(下石井)神明(勝呂)、三社(下石井) 愛宕(新町)、神明(船橋) 稲荷(上宿)鹿島(上宿) 神明(宿内) 六所(鹿島) 厳島(下宿) 熊野(宿内) 神明(新町) 稲荷(新町前) 天神(大智寺後) 稲荷(稲荷前)等の諸社を合祀し、四+一年改めて勝呂神社と称す。 神職岡野氏。

社は二丈許の丘上にあり。 社側に周囲二丈の老杉あり。 樹下に一穴あり。 石棺の石片と覚しきもの露出せり。 蓋し丘は古墳なること疑ふべからず。 丘下華表の付近に長一丈、幅四尺余の一大板石あり。 蓋し付近の古塚に存せし、石棺蓋ならん。