勝呂町にあり、智積院末也。 寺伝によれば大同二年日教大僧郡の創立にして、平治元年日海住したりしが、比企能員祖先香華院たるにより祈祷所に当てたりと云ふ。 然るに風土記に稍々趣を異にせり。
曰く。
過去帳に初代日教、二代日海とあれど年月もなし。 中興開山俊誉慶長の頃住職せりと伝ふれども寂年も知れず、中興開基は黒川丹波守平正直にて、延宝八年に卒すと。 思ふに此寺中興せしまでは微々たりしならん云々。 思ふに此寺地は勝呂氏の祖先居住の処にて、其後堀内に移りしなるべし。 境内の様如何にも古蹟と思はる。 云々。
と。 風土記の説く所従ふべきに似たり。 境内に今も構堀の跡あり。 寺堂甚だ壮大、殊に山門の屋根大に高し。 鐘楼あり。 境外堂あり。 境内も頗る広濶也。 黒川氏の墓石あり。 又井上菽蔭の墓あり。 其他板碑大小甚だ多し。
寺は真言宗の名寺にして其末寺三十二ありと云ふ。