金山彦神社
本村にあり。 村社也。 元禄中の再建なりと称すれど、寛延年代洪水のために由緒を失へりと云ふ。
赤尾は村の東北部に位し、越辺川に瀕せり。 此辺古は沼沢地にや。 今も井を穿りに当て、水草を出すとありと云ふ。
本村にあり。 村社也。 元禄中の再建なりと称すれど、寛延年代洪水のために由緒を失へりと云ふ。
諏訪にあり。 村社也。 村民林半三氏の祖文亀年間此地に移りし時、共に遷したる処なりと云ふ。
雲谷にあり
木村
雲谷
坪ノ内
同(坪ノ内)
合免
塚越
東部、越辺川に近し。 龍隱寺末、古は西方堂屋敷の地にありしを鉄心と云ふ僧今の処に移せりと云ふ。 鉄心寛文四年寂す。 境内に天神社ありき。 村民之を三芳野神社と称したりと云ふ。
大智寺末、