横沼

横沼は殆ど村の中央に位す。 戸数一百或は曰く。 横沼は小沼より分れたり。

其意即ち余小沼なりと。 附会也。

白髭神社

登戸方にあり。 弘治二年の勧請なりと称す。 村社也。 社内に八幡大神と氷川大神を祭れり。 末社に八坂疱瘡の両社あり。 近年稲荷社神(北登戸)、浅間神社(前原方)駒形八幡社(駒形)天神社(登戸)八坂社(北方)を合せり。

勝光寺

登戸にあり。 藤井山霊泉院と称し、東叡山末、後中院に属す。 開山宝本文亀元年寂す。 寺は昔塚越にありしを何れの頃にや此地に移せり。 塚越に其跡あり。 中興開山祐長。 宝暦年間類焼にかゝり、寺記の見るべきものなし。

西福寺

浄土宗、川越蓮馨寺末。 今は廃寺。

忠栄寺

登戸方にあり。 山号を伝へされど口碑によれば薩垂山錫杖院忠栄寺と云ふとぞ。 伊草金乗院末、至徳二年僧衆十二人在家十二人、長禄三子十月廿五日妙金禅門、応永二年の碑あり。

薬師堂

北谷にあり。 北谷山瑠璃光院と云ふ。 大智寺末、堂、小高き処に古碑あれど読むべからず。

釈迦堂

宮脇にあり。 元西福寺持堂なりしが、同時の頃か個人持となれり。 古は八間四面の大堂にて、境内も五段ありしと。 堂後小高き処より骨片土器を出す。 横沼の釈迦堂と名高し。

阿弥陀堂

登戸方にあり。 寛政年間勝光寺より分れ此処に立つ。

地蔵堂

原方にあり。 北向地蔵と云ひ、東向にする時は行人に崇ると云ふ。

地獄堂

同北方。 元禄十五年間仁田市郎兵衛開き。 侠客間仁田寅吉の墓あり。

大蔵院

登戸方にあり。 深草山と号す。 古は勝蔵院と記す。 大門道とて二間半幅、長さ百間の大道あり。 西に向つて大門あり。 天保の頃根本山を勧請し、庭内に梅樹を樹え信徒群集す。