熊野社の北方、丸山々下に当り、林泉の跡あり。礎石の跡あり。墓地もあり。 山本坊は箱根権現の別当に出て、本山派修験にして、寛永の頃より此地に移り、五十石の朱印を握て頗る隆々の勢ありし也。今は其南方一町余の処に住して民家となれり。古文書を蔵すると多し。毛呂村紫藤氏の説に山本坊此地に入れる以前、一乗坊なるもの存したりきと。浅見氏は山崎坊なるもの存したりきと云ふ。蓋し山本坊以前、恐らくは既に一寺の住したるならん。山本坊配下に龍光院、円蔵院等あり。付れも坊の付近に存在しき。