高福寺は瀧之入の東端に位す。行阿山と称し、明応若くは文亀年間の創立なるが如く、開山作仁子長永正元年示寂せり。二世天文二年、三世弘治三年、四世天正十六年に寂し、五世大正良賀に至て龍穏寺末となる、良賀慶長十九年に寂す。其墓地に板碑二りあり、一は「応永九年八月十六日了愛書記」と記し、一は「元亨二二年」と記す。寺は山側に位し、東南面に毛呂本郷を望む。
風土記には「此村に行庵(庵は阿の誤にや)寺高福寺とて二寺ありしが、慶長の頃僧良賀之を合して行庵山高福寺と号し後安楽山と改む行庵寺の跡此寺の後にあり」。と記したれども、土地の人全く之を知らざるが如し。風土記誤れるにや」。