郷土の美観

平凡なる美景

入間郡の風景は蓋し其大観にある乎。 郡内の風物一を以て特に天下に誇るに足るものなし。 然れども其平凡なる個々を集めて、寄せ併せて、構成せられたる全穀は変化あり、統一あり、趣向の妙、結合の多様なる、以て郷土の美観と称するに足る。 蓋し郡内の風景は全局の大観にあり。

武蔵野の面影

武蔵野が古来関八州平野中の平野として、人口に膾炙したりしは改めて述ぶるまてもなし。 然らば我入間郡は武蔵野中の武蔵野として、古来の面彫を存せりや否や。 蓋し思ふ。 人力遂に自然を制す。 其昔曠野茫々、所謂「紫」の名所たり、所謂「尾花」の名所たりし武蔵野の面影は今に於て殆ど滅せり、然れども曽て国木田独歩によりて絶唱せられたる現在の「武蔵野の美」「武蔵野の詩趣」は敢て古に劣らざるものの如し。

所沢町付近の景

試みに所沢町の近傍、平原中の人とならば、遠村近郊、松林、菜畝相交はり、所謂「武蔵野の楢林」亦其中にあり。 更に町の南方狭山丘陵上に至れば、八国山(ハチコクヤマ)、荒幡富士鳩峯八幡等の勝地相連り、或は長杉天に冲し、或は老松地に蟠屈し、特に其高きに登れば入間多摩足立等の平野双眸の中に集まる。 而して斯の如きもの啻に狭山のみにあらざる也。 阿須の丘陵に於て亦然り。 高麗飯能付近の諸丘陵に於て亦然り。

日和町山上の大観

特に郡内第一の高丘日和田に登れば、西に秩父の諸山を仰ぎ、北東南に八州の平野を望み、飯能町入間川町や殆ど指呼の間にあり。 東北に当てかすかに煤煙の昇るは川越町にして、東南大厦の独り人目を驚かすものは所沢町の飛行船格納庫也。 若し夫れ吾野高麗川精明諸村の丘陵に至ては脚下に攅簇沓蹙して、街路の状、行人の態も或は一々之を詳にすべきものなり。 加之高麗川透遅として山下を周り、入間川遠く平原中を貫流して、其景雄大、而して精妙、眺め来り、望み去りて殆ど厭く所を知らざる也。

飯能町

殊にそれ飯能(ハンノウ)の町たる、外秩父、吾野名栗両村の関門にして、又付近数村の交易地也。 故に市街の粉壁燦として、遠望頗る壮観ならずんばあらず。 且其山紫にして、其水碧し。 或は天覧山を形容して畝傍山に似たりと言ひ、或は飯能町そのものを賞揚して京都の如しと為すもの、幾分の誇張ありと雖、言必ずしも架空妄想にあらざるを覚ゆる也。

山地の景

飯能町を出て、草鞋西に向ひ、丘側河畔の県道を進めば、其南北何れをとるも三里乃至四里にして外秩父の地に入るべし。 其間山容水色漸く奇にして、巨岩塊石応接に暇あらず。 更に道を右に屈して、山道を上下し、足一度梅園村に入らば、清流愈涓々として、瀑布あり、砿泉あり、梅園あり。

平原

更に高取の山脚を周て越生町に出て、明媚なる山容に接し東川越町に向へば、山影漸く徼かにして、田野の色漸く加はる。

川越町付近の景

高麗川と入間川とは洋々として流れ、両岸の長堤、尽る所を知らざるが如きも亦平野の一偉観ならずんばあらず。 既にして川越町の郊外に至れば、伊佐沼東にあり。 秩父山西にあり。 芙蓉峰西南に当て、雲表に聳えたり。 南は原野にして樹林の嵐気索々たり。 北は水田にして、遠霞の跡渺茫たり。 小流緩く、青草の畔間に茂れるを踏て、野趣の正に横逸せるを見る。

結論

思ふに郡内の青山緑野、天然の配列至妙なるに加へて、人為の雅致を以てす。

社寺の或は壮大にして、巍然たる、或は廃頽に垂んとして、却て古色蒼然たる、加ふるに市街の典雅なる、街道の詩趣ある、農村の素朴なる、観来れば武蔵野の風致未だ必ずしも衰へざるを覚ゆる也。 況んや四時の変化、亦頗る雪花風月の趣を添ふるに於てをや。 況んや至る所古今の隆替、人をしてそゞろ慷慨悲古の情に堪えざらしむるものあるに於てをや。