幕末維新の頃、勤王攘夷の説を唱道し、志士遂に身を抛て国事に殉せしもの少からず、川越の西川練造、斉藤彦麿、毛呂の権田直弼、入西の竹内啓、三芳野の桜国輔、飯能の小川香魚、(其同志松田正雄)等の如き是也。 斉藤彦麿は学者にして著書多く、尊王諭を唱ふ。 川越藩の人也。 西川練造は川越小仙波の人、夙に勤王論を唱え頗る力めたりしが、後遂に牢死せりと云ふ。 権田直弼は毛呂本郷の人、国学者にして、後阿夫利神社の司官となる。 竹内啓は下総に仆れ、 桜国輔、 小川香魚は同志松田正雄と仙波村に死せり。 何れも大政奉還に先つと甚だ遠からず。 江戸引渡の後幕府の残党は上野に拠りて破れ、更に遠れて飯能に拠るもの数百、佐上原藩、川越藩、官軍の先鋒として左右より攻め来り、遂に敵せずして、梅園秩父地方に退却し、事平ぐるを得たり。 (飯能町の条参照)