愛宕神社

仙波河岸の上崖に位し、其辺を富士の腰と称す。 社殿丘上にあり。 丘は高三丈、稍円形に近し。 古墳也。 社の創立に就ては村内に存する古文書に(元愛宕社に存したるもの)文禄二年正月十一日長床坊(山城愛宕山の坊也)内東光坊より当村万仁坊へ与へし書あり。 内に「武州河越愛宕山建立に就て万仁坊差置云々」とあり。 然るに又子の十二月廿六日政繁花押より万人と宛名せし古文書にて、「当地に於て望次第祈念守等可出由無相違儀に候」との許状あり。 政繁は勿論大導寺駿河守にして子の十二月廿六日は天文永禄天正の中ならざるべからず。 古社なるの明証を得たりと云ふべし。 尚降て慶長十九年酒井備後守忠利より神領中田一反、中畠一反寄附せし文書あり。 別当万仁坊は思ふに愛宕の西に接し、維新の頃に至て廃せられしものならん。 愛宕下の瀧小なれども付近に名あり。