府川

府川石田の北に連る。 天正五年丁已五月二十六日板部紅雪斉の古文書に隣村菅間村竹ノ谷源七郎、谷中村大野縫殿助へ名宛府川之郷御検地御書出と記し、同年検地行はれしを徴するに足る。 土人の伝へし所によれば、志垂宿粒石田同本郷谷中網代の六村は古府川郷と呼び、其頃は今の府川を上府川又は府川本郷と呼べりと云ふ。 但此説他に証を見ず。 東西三町、南北十四町、人戸五十。

八幡神社

村の中央、街道の東に連れり。 源三位頼政の奉紀せし処なりと云ふ。 思ふに其創立鎌倉時代の中にあり。 本社に円形の鉄燈籠一基あり、周円二尺三寸五分。 表面に源三位頼政奉之、裏面に承安元年辛卯と記されたり。 陽刻也。 宝物として保存せらる。 其他白木椀七個あり。 文明三年辛卯三月神主原市太夫舎宅火災にかゝりし時、記録等灰燼に帰せりと云ふ。 其後慶安元年松平伊豆守田地寄進あり。 此等の事志垂村検地帳及府川村旧記等に詳也。 更に風土記によれば、当時の社伝に康永三年再興ありしとを記し、土人の説に古は志垂宿粒網代谷中石田石田本郷菅間向小久保、 比企郡角泉の十ヶ村の鎮守なりしも、 其後府川志垂の鎮守たるのみ。 と記せり。 明治五年村社となる。 三十四年一月村内無格社白山社、第六天社を合祀せり。

弥陀堂

風土記によれば弥陀の書像二幅あり。 一は源満仲一は恵心僧都の書なりと称す。 秘して見せず。 又大永七年小沢藤右衛門維宗の記せる縁起ありと云ふ。