八幡神社

村の中央、街道の東に連れり。 源三位頼政の奉紀せし処なりと云ふ。 思ふに其創立鎌倉時代の中にあり。 本社に円形の鉄燈籠一基あり、周円二尺三寸五分。 表面に源三位頼政奉之、裏面に承安元年辛卯と記されたり。 陽刻也。 宝物として保存せらる。 其他白木椀七個あり。 文明三年辛卯三月神主原市太夫舎宅火災にかゝりし時、記録等灰燼に帰せりと云ふ。 其後慶安元年松平伊豆守田地寄進あり。 此等の事志垂村検地帳及府川村旧記等に詳也。 更に風土記によれば、当時の社伝に康永三年再興ありしとを記し、土人の説に古は志垂宿粒網代谷中石田石田本郷菅間向小久保、 比企郡角泉の十ヶ村の鎮守なりしも、 其後府川志垂の鎮守たるのみ。 と記せり。 明治五年村社となる。 三十四年一月村内無格社白山社、第六天社を合祀せり。