総説
現状
植木村は郡の東北隅に当り、川越町を去る、一里ばかり、其他四周繞らすに河流を以てし、荒川東にあり、入間川北にあり。
古川屈曲迂除して西南を流れたり。 地勢低平にして水田比較的少く、陸田意外に多し、又池沼少からずして、屏風沼、淵ノ上、淵ノ下等あれど水利を欠く。 土質は砂質壌土也。 川越上尾街道村内を走り、北は比企郡出丸村に東は北足立郡平方村に、西南は郡内芳野古谷二村に連なる。 物産は麦、豆、米等にして、洪水の難多く、民居土と積みて高さをつとむ、戸数百九十三、人口千三百十三あり。 蓋し郡中小村の一也。 鹿飼、上中下老袋及東本宿の五大字に分れたり。
沿革
植木村は元比企郡に属し、上中下老袋、本宿、鹿飼、川口、戸崎の七村一郷となり、公務は七村合併にて取扱へるものゝ如し。 所謂川島領にして、植木の里と称す、寛永十六年以来川越城主松平信綱に属し、元禄七年に及て支配地となる。 明治に入りては元年知県事に属し、二年品川県となり、次で韮山県に転じ、四年十一月入間県、(一大区六小区)六年熊谷県、九年埼玉県となり、十二年比企横見郡役所に属し、十七年出丸連合戸長役場に合す。 先是明治初年七村り中より川口、戸崎二村を除て他に合し五村となしゝが、二十三年七月之を以て植木村を編制し、二十九年四月入間県に編入せり。 蓋し地勢上、交通上の便に基き、村民多年の希望成就したる也。 但洪水の害は頗る此村の発達を妨げ、二十年来戸数殆ど増加せずと云ふ。
入間川
古の入間川は川越町に近き今の赤間川、伊佐沼の水沢を河道とせしもあるべく、其後今の河道を流るゝに及んでも、植木村北境を流れずして、西南今の古川の流域を其河道とせり。 然るに松平伊豆守信輝は延宝三年新に水路を北方に設けて流水の停滞を除き、依て旧河を古河と称し、入間川の方向今日の状を呈するに至れり。