氷川神社
三老袋及東本宿の鎮守にして、境内樹木多く、社殿又小ならず。
村の南部に位し、戸数五十、古は新田を有す。
三老袋及東本宿の鎮守にして、境内樹木多く、社殿又小ならず。
天台宗にして、古谷村灌頂院に属せり。 開山慶長十九年に寂す、中興開山鎮海亨保九年に寂す。 今は無住にして、大なる堂宇風雨の中に立てり。
道祖土下総守康成、北条氏康に仕へ、元亀元年七月七日卒す。 老袋城に住す。 孫図書助老袋五十貫文を食む。 其館趾は或は中老袋にありと称すれど、恐くは下老袋玉泉寺付近の地なるべし。 但老袋の地方人家皆土を盛り、塁を設けて洪水の害に備ふ。 故に各家の周囲一見皆堀也。 土手也、加ふるに宅地の外は皆開拓して陸田たり。 故を以て古館趾の探求に当て多大の困難を覚ゆ。 然れども玉泉寺西北方(或は北方)の土手(一小部)は或は当年の塁跡にあらざるか。 否か。