字赤城にあり。 創立年紀詳ならず。 風土記には唯此辺土地低く水患あれば、其災を避んと近き比塚を築き、上に社を立つ此辺の鎮守なりと記せり。 然るに寛文の頃までは全村挙て赤城社を仰きしも、其後村内両分し、為に唯西部半ヶ村の産土神となれり。 加之更に明治四年古谷本郷八幡神社を以て村の鎮守となすに及び、赤城社は単に信仰社たるのみ。 其丘高丈五尺。