実相院

古川端にあり。 天台宗山門派にして本郷灌頂院末也。 風土記に境内嘉元四年の古碑一、外に年号文字凡て不分明の古碑二三枚ありしとを記せり。 古谷村地誌によれば慶安年中の水帳には実相坊と記し、里伝、往時門徒寺なりしが、宝暦年代村民善仲寺と争ふとあり。 離壇して実相坊を押し一寺となしたりと。 又善仲寺過去帳にも実相坊の名あり。 然れども開山幸了と称するは天正五年領主中筑後守が古尾谷八幡宮を再建せし時の僧なれば、古き寺跡なるとを知る、当時は多聞院と云ひしが如く、今も寺号を多聞寺と云へり。 と。 開祖幸了の石碑存すれども年号等なし。 十二世器空なるもの享保年間中興したりしが、寛保、安永両度火災あり記録等焼滅せり。 十五世簒隆天保年中堂宇を営む。 現存のもの是也。