曹洞宗通幼派にして能仁寺末、慶長年間村民協力して、古来の衰寺を修営し、能仁第五世吉州伊豚を招請し寂光山浄心寺と称し、伊豚を開山とす。其頃より一寺たりしを伊肝(月に子)の時再興し、宗派寺号を定めたるならむ。左の二堂は元寺の境内にありしを明治九年境外堂とせるもの也。