明治元年五月十五日幕府方の一隊上野に敗れ、其一部逃れて飯能町に拠る。其数四五百、号して二千と称す。乃ち紀律を厳にし掠奪を戒め防備を張る。渋沢平九郎、山中幸作、本多晋等将たり。官軍は入間川付近に陣し、川越藩右翼先鋒たり。佐土原藩左翼先鋒たり。二十三日決戦行はれ、何れも殊死して戦ひしが衆寡敵せず。幕府方破れて山中幸作等之に死し、渋沢平九郎傷て黒山に走り、遂に河畔の石上に自刃せり。此役能仁寺は幕府方の根拠地とも称すべく、為に兵火を蒙る。市街も亦烏有となれり。官軍は二十五日凱旋せり。