富士浅間社

上直竹下分字瀧にあり、宝物は鰐口三個、何れも鋼鉄にて円形なり一は寛正四年十二月七日吉田邸奉納一は寛永十九年壬午五月柏原村神田与市右衛門納一は正保三年十月武州杣保内間野村木崎弥右衛門納、鰐口にても旧社たるを知る、奉仕せし修験東光院南仙寺に古文書あり。

去月七日猿馬場於合取御辺之稼無比類侯然者黒田金沢討死之儀者不及是非候彼者其跡式不相立侯条家中之皆共貴殿人敷之内へ被加引勵忠功様何辺にも其地の儀可然様御辺頼入侯意之上以猶可勧賞之条弥可被抽軍切侯恐々謹言

永正二

十月六日

為景花押

高梨播磨守殿

(以上書状杉原紙二ッ折表裏十四行)

四十年五月大字上直竹下分字三ッ久保の愛宕、同下間野の稲荷、同同琴平、同宮ノ脇、神明、同郷戸の御中主神、同上川崎山祗社、同台の入稲荷を合社す、四十一年指定村社。