藤金は村の中央より少しく東部に位す。 戸数六十。 藤金新田は其北方にありて享保年中藤金の農民伊兵衛等の開墾せし処、明治十年藤金に入る。
藤金山と号し、曹洞宗飯能町能仁寺末也。 格外玄逸開山、慶長八年寂せり。 安政五年火を失し、万延元年今の堂を再建す。
長竹山と号す。 天台宗羽黒派にて東京普門院末、今は無住なり。