豊田新田

豊田新田は村の中央にあり。 戸数三十に満たず。 村役場あり。 小名に味ふべきもの多し。 里伝には此辺古は小ヶ谷田面沢村)の最明寺三十六坊の跡なりしと称す。 入間川は曽て高台に沿ふて流れし事あり、故に今も土地礫質を帯びたる処散在せりと云ふ。 鎌倉街道も東南より来て小ヶ谷方面に通じたりとかや。 中氏開発の新田地にして、古谷村の中氏三人兄弟にて三ヶ島豊田津久根三個処に分れし伝説あり、然れども事実は三ヶ島村の中氏分れて此地を開きしものなるに似たり。

大(おほ)陣山

南部に位し、川越入間川街道の西、高台下の森林地也。 里伝には新田義貞の陣地と称すれど、信ずべからず。 地理に就て考ふるに川越城の扇谷が、上戸方面の山内に備へし処にあらざるか否か。

仏坂

大陣山に続ける高台の地方一円を云ふ。 尚付近にカヒ山、ヨシ山、等の小名あり。 北部にはテンヤ坂、鍛冶屋山、大堀等の小名あり。 大堀は今は番匠屋敷と称せらる。 鶴代も設けられき。