字堀之内にあり。 文政六年正月十三日の火災にて古文書焼失し、由緒詳ならざるに至れりと雖、正治二年庚申歳今の仙波村新宿の地にありて、善中寺と称し、開祖は妙心寺派默室禅師也。 (新宿村参照)寺又庚申山と称し、又安養山と云ふ。 安養は古尾谷近江小太郎信秀の法名也。 信秀法謚を古谷院安養無着と云ひ、応永六年十一月廿八日歿す。 其後天正元年家臣中筑後守資信古尾谷を領し、因て主家のために之を再興せり。 即ち資信は渋井村蓮光寺六世性翁慶守を中興開山とし、寺を館側に置く、資信の号安養院と称するを以て古谷山安養院と改む。 法系今に連綿たり。 曹洞宗蓮光寺末。 其墓地の辺当年の塁跡明に存す。 西北隅に古尾谷無着の墓あり。 又正北に中筑後守藤原資信の墓あり、然も墓石苔むし、今や文字を弁ずべからざる也。