字砂之宮にあり。村社也。由緒によれば日本武尊東夷征伐の時、千束の矢を備へ、征矢を飾り兵器を連ねて屯し給へりと。後将門の乱に経基東国に下向し、随兵を秘に此地に屯したりと。信ずるに足らず。曽て矢下風、前ヶ貫、岩淵三村の鎮守たり、明治四十年来左の七神を合祀せり。
矢下風字前原にありき
矢颪字瀧沢にありき
同奥平にありき
同中矢下にありき
矢下風字秋津にありき
前貫字八幡にありき
同八幡にありき