前ヶ貫

前ヶ貫は矢下風の南に連り、東西南北各四五町、人家五六十。村の異名を塩川と云ひ、曽ては大に通用せり。村内に元塩川と称する真言の寺院ありき。享保十七年以来黒田豊前守の領地たりき。

征矢神社

字砂之宮にあり。村社也。由緒によれば日本武尊東夷征伐の時、千束の矢を備へ、征矢を飾り兵器を連ねて屯し給へりと。後将門の乱に経基東国に下向し、随兵を秘に此地に屯したりと。信ずるに足らず。曽て矢下風前ヶ貫岩淵三村の鎮守たり、明治四十年来左の七神を合祀せり。

八坂社(素盞鳴命)

矢下風字前原にありき

多岐座波社(国常立天御小主)

矢颪字瀧沢にありき

日吉社(猿田彦)

同奥平にありき

琴比羅社(大物主)

同中矢下にありき

秋津社(大日霊)

矢下風字秋津にありき

神明社(大日霊)

前貫字八幡にありき

八幡社(応神天皇)

同八幡にありき

大連寺

字馬貝サビにあり、曹洞宗能仁寺末、創立年月詳ならずと雖、高雲守岳和尚永正三年示寂、別外意伝和尚永禄二年寂、外定存知和尚天文十九年寂、円鑑守才和尚元亀元年寂、霊源知覧和尚天正十三年寂、而して五世を前住と記せる石碑等あり、然れども当時の宗派詳ならず。慶長八年村民協力して定営し、能仁四世格外玄逸を招請し、太平山大連寺と号し、格外を開山とせり、此に於て曹洞となる。