上下畑

上畑は村の中央より稍々東部に編し、下畑は上畑の東に接せり。戸数上畑三十七、下畑五十六。

畑神社

下畑字渡戸曽根にあり。誉田別尊、大国主命、素盞鳴尊を祭る。誉田別は即元の八幡社にして金蓮寺内鎮坐、里伝に昔上畑村民宮倉氏の祖鎌倉八幡を勧請せりと。大国主は元金毘羅大権現と云ひ、素盞鳴は元牛頭天王と云ひ共に心王院境内鎮坐也。維新の時八幡宮を八幡大神と改金毘羅大権現及牛頭天王を琴平大神八坂社と改現地に遷し先には八坂を村社とし自余の二社を合殿とせり。然るに八幡は本村にて旧社たる故明治十七年六月八幡及琴平八坂両社を合殿し地名により下畑社と改め村社とす。四十年入沢なる無格秋葉社、上畑字秋葉山の村社秋葉社及愛宕社、上畑字中畑の無格神明社、字中峯の無格稲荷社字御側稲荷、以上の六を合祀す。而して四十年十二月下畑社を改めて畑神社となす。

八幡山金蓮寺

下畑字宮倉にあり、時宗当麻派(鎌倉郡当麻村無量光寺末)中段中将文安元年壬辰八月創立中殿は村民宮倉氏の祖先なり一遍智真をひいて開基とす。本山無量光寺歴代年譜及西多摩郡檜原村神官土屋達之助所蔵永禄年間北条氏輝下知状には宮倉金遠寺とあり。

医王山薬王寺心王院

下畑字渡辺直土にあり、真言新義派(成木村安王寺末)天正年間吉沢内蔵助開基、元一宇の草堂ありしに天正中安楽三世澄海退老す、村民吉沢氏の祖、内蔵助某亡父関谷隼人助夫妻の為め草堂を修営し一の梵刹とす。

保入山光明寺遍住院

下畑字保入にあり、真言新義派、安楽寺末、里伝には頗る古刹なりと云へと寛政三年十一月池里の災にかゝる。

東久山宝光寺地蔵院

上畑字岩脇にあり。高麗村聖天院末、多年無住にて旧記を逸す。唯墓地に寛永十九年五月法印良栄と記せる墓碑あり。