市場は村の東南部に位し、古の鎌倉街道に沿ひて、宿駅たりしが如く、古九日市場の名あり。即ち九の日を以て市を開きし也。旧名主山崎氏に就て尋ね頗る該街道の跡と、当時の盛観を詳にすることを得たり。
鎌倉街道は今の川角、西大久保境界に当れる、道幅五間の古道より東南に屈して、一たび低温なる水田地を通過し、現市場の中央を横断して東南南の方向を以て大家村四日市場、森戸の間に出づ。沿道に本陣たりし家あり。大林坊の跡あり。又市場神社あり。思ふに此街道は両上杉氏鎌倉を去れる後も多少人馬往来の存せしも、徳川氏江戸に入るに及て、漸く廃頽に帰したるものならん。
旧三島神社と称せしが、明治四十年大利神社、外五社を合して市場神社と名く。
矢先は金比羅山と称する処、狭長に入込める地方也。古矢稽古を行へる処なりと説話を試むるものあり。
市場新田は衰へたり。
山崎氏の付近に土居の跡ありき。
西方に位し、川角の南方に位す。土地高台也。一面の陸田たり。 其西方数町に光山沼あり。土人は光山をホーダンと呼べり。