現今の川越町

川越町は郡の東北部に位し、北は山田村芳野村に隣りり、東は古谷村に境し、南は仙波村に連り、西は大田村田面沢村に接せり。 東京市を去る十二里、埼玉県庁(浦和町)を去る五里半余、武蔵の大邑也。

地勢南方は高台にりて、北するに従ひ漸く低下せり、北部より東部に及で、低湿なる水田地あり。 赤間川は田面沢村より来て、町の西北部を流れ、芳野村に入りて伊佐沼に注ぐ。 其他数条の細流若くは用水あり。

市街よりは東京街道、大宮街道、松山街道、小川街道、越生坂戸街道、八王子街道、高麗街道、所沢街道、志木街道、上尾街道、桶川街道等八方に走り、四達の要地なるに加へて、川越鉄道あり、川越電気鉄道あり、近く東上鉄道も竣工すべく、人口二万六千六百八十七、戸数四千二百七十八。 秩父山を西に望み、水田を北東にして、武蔵野の原頭、厳とりて、茲に一盛邑を顕出せり。

入間郡役所あり。 警察署あり。 区裁判所あり。 税務署あり。 監獄署(浦和分監幼年囚を收容す)郵便電信局、電話交換所等あり。 県立中学校、県立染織学校、県立高等女学校、蚕病取締所、入間郡公会所、川越会館、川越商業会議所、織物市場、繭糸市場、八十五銀行、商業銀行、黒須銀行支店、本所銀行支店、川越鉄道株式会社、川越電気鉄道株式会社、石川製糸工場、武陽社等あり。 小学校三、町役場は最近の新築にかゝり構造甚だ壮大也。

鉄道電車の外陸路馬車及運送の便あり。 新河岸川及仙波河岸川は東京地方に対する貨物の送着に便し、米穀、織物、繭糸、甘藷、製茶等の集散甚だ活発也。

市中にて製造せらるゝ鋳物、箪笥、酒醤油等の類は東京其他関東の各地に発送せられ、製麺及菓子の類は郡内各村に配付せらる。 町運漸く盛にして、市制の施行必ずしも遠き未来を待たざるべき也。

八大字あり。 川越と云ひ、松郷と云ひ、寺井と云ひ、東明寺と云ひ、小久保と云ひ、野田と云ひ、脇田と云ひ、小仙波と云ふ。 何れも地理と沿革に基て、其別ありと雖、今や発展の勢は漸次此等の名称を形式的ならりめ、渾然たる一都市たるに至らんとするものゝ如く爾り。 然も此町の発展たる、其依て来る所蓋し一朝一夕にあらず。 願はくは請ふ約七町年の昔に遡て其源流より之を明にせん。

川越市街全圖

大正元年(1912年)11月3日発行

川越市街全圖 大正元年(1912年)11月3日発行
永続的識別子 info:ndljp/pid/1087652

川越市街全図