人類の社会に直接必要を感ずるものは蓋し経済生活也。 其他政治、教化、社交等様様の直接必要件なきにあらずと雖、就中経済は其第一位にあらん。
郡内社会力経済生活の基本は農業也。 郡内何れも其地により、作物の宜しきを植えたり。 例へば肥えて水利の便あるは稲を植え、肥えて乾きたる処には麦を植え、軽鬆なる地方には甘藷蔬菜を植え、礫分を帯びたる処には桑を植え、其耕して利少きは雑木林たるに委して薪炭を採り、山側渓間の地には杉檜以下の良材を植え、
更に一般に副業としては養蚕あり、養鶏、牧畜、漁撈の如きも稍行はる。 斯の如くにして我郡内の農村が出す所、米あり、麦あり、生糸あり、繭あり、製茶あり、甘藷あり、川魚、果実の如きも亦自然収穫に属する珍産なり。
更に近来に至て日進月歩の逼迫せる時勢は、社会内の個人を駆て、人工的に貨財の製出を盛ならしめ、大規模なる企業、続々行はる。
例へば機業並染業の如きを始とし、其他各種の製造業の如き皆是也。 之に依て産出する所のもの、川越付近の双子、飯能付近の斜子、加治村付近の太織、吾妻村山口村付近の綛、川越付近、入間川豊岡付近、鶴瀬水谷付近及飯能付近の絹綿交織あり。 (生絹としては加治越生毛呂付近等を最とせり)
其他郡内各処に亘て清酒、醤油、鋳物等あり。 手工的特産物としては、大井の箒、安松(松井村)の笊(ザル)、坂戸入西付近の筵等あり。
斯の如くにして自然乃至人力によりて収穫し得たる所のものは、之を他の生活上の必要物件と交易せざる。 へからず。 此必要のために市街の存在を見る。 然れども市街の極めて幼稚なる形式を備えたるものは、村落内に往々存する宿場の如きに於て之を見る。 例へば南古谷村古市場の如き、 大井村大井の如き、毛呂村毛呂の如き、 高麗川村上鹿山の如き、 原市場村原市場の如き是也。 然れど斯の如きは極めて些少なる需要を充たすに過ぎざる也。 蓋し村落内の商家は到底所謂万屋以上に出づる能はず。 而して農家工人の生産し来れる処のものを収容し得べくもあらざれば也。
此に於てか、川越、所沢、入間川、飯能、豊岡、越生、坂戸の七市街あり。 大小夫々差ありと雖、よく農村の需給を調和せしめ得たるが如し。 故に今一の農村に就て之を見るに、必ず村民は最寄市街への往復甚だ繁からざるはなし。 偶々両個の市街の間に位するものゝ如きは、或は彼に行き、或は此に行き、其必要に応じて適宜の処を選べるが如し。 而して市街は大抵市日を設けて以て、付近村落の住民を召く、川越町の二六九、所沢町の三八、入間川町の一五、飯能町の五十の如きは其一例なり。
啻に市街と農村とのみにあらざる也。 市街と市街の間、亦相互需給相通の事あり。 川越町は此点に於て経済上にも郡の首地たるに廡幾し。 而して東京市は勿論一切の源泉たり。
農村と市街、乃至市街と市街との往復は何に依て之を為すべきや。 其主たる処のものは道路なり。 別に水路あり、鉄路あり。 軌道あり。 道路は近時甚だ整頓し、県道の網殆ど郡内を縫ひ、村道里道亦之に応じて完全し、間々地質自然の関係冬季の里道に歩行難ありと雖、古に比して時代り恩沢に浴すること幾許なるを知らず。 県道には大抵、馬車を往復せしむる多く、運送の便は殆ど至らざる処なし。 水路は比較的少く、而して到底族客運搬の用を為さずと雖、梅園山根東吾野原市場諸村よりの木材は筏となりて、河流に運搬せられ、川越町付近の貨物は東京方面に向て、新河岸川の水によりて運搬せらる。 鉄道及軌道に至ては川越鉄道の一線、及川越電車、入間並中武馬車鉄道の三線なりと雖、郡内の人々其利を受くる大也。 工事進行中のものに東上鉄道あり、計画中のものに至ては蓋し四五を下らざる也。
市街農村の関係円満密接となり、農村の住民にして猥りに都会熟に犯され、比々郡をなして都会生活の冒険をなすが如きは国家の憂患也。 而して我入間郡には未だ斯の如きあるを聞かず。 慶賀せざるべけんや。