雀の森
村の西方に位し、鬱蒼たる大森林なりしも、漸次伐採せられて、今は其一小部を残せるのみ。 古老の朧(おぼろ)に伝ふる所によれば、此森その昔仙波喜多院一帯の森と続き、狐狸の往来する処なりしと云ふ。 狐に関する物語も二三伝はりたるが如し。
新宿は大仙波新田の西に位し、所沢街道に当れり。 戸数四十五。
村の西方に位し、鬱蒼たる大森林なりしも、漸次伐採せられて、今は其一小部を残せるのみ。 古老の朧(おぼろ)に伝ふる所によれば、此森その昔仙波喜多院一帯の森と続き、狐狸の往来する処なりしと云ふ。 狐に関する物語も二三伝はりたるが如し。
雀森にあり。 村社也。 社地は延宝六年の検地帳に除地とせられたり。 稲荷、春日の小社あり。 村内木野村氏に存する氷川神社由緒「未の太郎公」物語は之を神社の来歴とせんよりも、寧ろ別個の方面より観察して興味多きを覚ゆる也。 森の入口に富士浅間の小塚あり。 高一丈、岩石を並べて、富士山に擬せり。 氷川社の旧別当は大仙波常宝院なりしを故ありて網代教学院に変せりと云ふ。
所沢街道の西、屋敷と称する処に大日堂あり。 其前に一小古碑と樅の若木あり。 傍に由来を記せり。 然るに其碑は容易に信ずべからず。 伝ふる所によれば、大日堂の西南一二町ばかり、寺屋敷と称する処に元善仲寺あり、天正の初年古谷村に移したりと。 之を古谷村に存する口碑等に考ふるも略然るが如し。 善仲寺既に古谷村に移れり。 此に於て其跡に大日堂を設け。 善仲寺隠寮と呼びたり。 庚申山大日堂の説の如きは其後に至て附したる名称のみ。 (古谷村善仲寺の条参照)