例言

一、本書は元九百頁に達すべかりしが、紙幅の甚だしく尨大なるを恐れ、大に削減を加へて、七百頁以下に縮少するを得たり。 従て説述上幾分の損失なき能はずと雖、閲読に際しては寧ろ多少の便あらん。

二、第一章総説の部は削減の最も行はれたる所にして、各節往々綱目を掲くるに止まるやの観なきにあらず。 若し第五節郷土の沿革諸誌上(社寺志、遺物及 遺蹟志、道路及宿駅志)、第六節同下(郡郷村里志、地名研究、伝説及説話)の二節を加へなば体裁稍や整はん。 今割愛に従へり。

三、第二章川越町の部も亦稍や斧鉞を加へ、第七節年中行事、第八節古来の説話の二節を省き、第五節社寺の説述の如きも甚だ簡ならしめたり。

四、第三章以下各町村の配合に至ては頗る意を用ゐたりと雖、或は未だ十分なるを得ぎりしを遺憾とす。

五、各町村の部は先づ総説(現状沿革等)を述べて各大字に及び其社寺名勝旧蹟等を明にせり。 大字なき町村は直に現状・沿革・社寺・古蹟等の小目を設け、別に小 字の名称を掲げたり。

六、町村の戸口は明治四十四年末の調査に従ひ、各大字の戸数は大約を示し、物産、土質、山川の如きも大体を叙するに止めたり。 道路は主として県道を掲げ、里程は町村の中央部を基点として大数を出せるのみ。

七、社寺の来歴に就ては社寺各其立場あり。 然れども本書は本書一流の見解を守れり。 極端なる説は断じて編者の探らざる所収りと雖、或は往々神戚仏縁を侵害したるの批難を免れざるべし。

八、各地の古蹟に関しても不幸頗る地方篤志家の寄託に背けるものあり。 編者の罪也。

九、旧家を掲載するは風土記以下の例なるが如し。 然れども編者は別に見る所ありて之を廃せり。 唯特に必要なるもの、若くは一般に知られたるものは他の項下に於て往々之に及べるものあり。

一〇、神社の祭神、寺院の本尊等は一々記さず。 旧幕の頃に必要なる朱印の如きも成るべく之を省けり。 各地の検地亦然り。 唯神社には社格(県社・郷社・村社)を記し、寺院には宗末を掲げ、創立年代を知らんがために煩はしきを忍て大抵開山の僧侶及其示寂年月を出したり。

一一、郡内の寺院にして末寺を有すること比較的多きは左の数寺とす。 喜多院中院 川越町小仙波、天台宗。 灌頂院 古谷村古谷本郷、天台宗。 蓮光寺 南古谷村渋井、曹洞宗。 能仁寺 飯能町、 同。 聖天院 高麗村新堀、真言宗新義派(郡内の真言宗は凡て新義派也)。 大智寺 勝呂村石井 同。 法恩寺 越生町 同。 龍穏寺 梅園村龍ヶ谷 曹洞宗。

又修験は今は廃されたれども、当山派(真言)及本山派(天台)あり。 郡内には本山派多く当山派は其半に足らず。 水富村笹井観音堂川角村西戸山本坊南畑村十玉院高萩村高萩院の如きは本山派の雄なりき。

一二、本書の材料は出来得る限り、各方而より蒐集したりと雖、資料尚十分ならざるもの多く、殊に各地往々繁簡宜しきを得ざるものあり。 編者微力の致す所也。

一三、本書挿むに附図を以てすと雖、詳しくは陸地測量部五万分一地図に就て対照せられたし。

一四、本書編述に際しては市川入間郡長、田島第一課長及郡衙関係の人々の好意は勿論、地方先輩、同窓学友、乃至各地の特志家の力に待つ所少からず。 沿革の記事に関しては川越中学校教頭松崎文学士の有益なる助言を得たること少からず。 本書の兎も角も脱稿し得たるもの凡て諸氏の賜也。

大正元年十月二十日

編者

例言追加

地名伝説とは某の地名の起原を説明せんがために一般に伝承せらるゝ説話にして、其多数は該地名に用ゐらるゝ漢字の意味を転用するもの也。

原故に堀内、堂山、塚原、市場、の如き地名は大抵或歴史的事実を暗示すれど、駒林の地名を駒が林中に死したるによるなどゝ解くの類は決して信ずべからず。地名伝説の一例也。

伝説々話の類は直に歴史事実とすべからざるもの多しと雖、別に伝説若くは説話として保存すべく、参考に値するもの少からず。

板碑とは大抵秩父青石にて成れる板状の墓碑にして関東地方に多し。

其年代は鎌倉及室町の両時代に属す。

本書通読に際しては地図の外成るべく年表をも坐右に備へられんことを切望す。