一国に於ける最大の団結は云ふまでく国家也。 最小にして単位的団結たるものは町村也。 国家と町村との間、府県及市郡あり。 夫々存立の意義を有して、全体の脈絡貫通せんことを計れり。
町村は単位的団体にして、自治体也。 故に町村の区域は一方に於て、国土分割の最小級に属し、国家の行政区割に外ならずと雖、又一方に於て独立したる一の自治体の彊土也。 即自治体が公法上の職権を行使し、且義務を履行するの範囲也。 故に其区域の如きに至ては、可及的従来の慣例に従て之を定め、一たび之を定めたる限り、万止むを得ざるの外猥らに変更せざるを以て通例とす。 江戸時代の末に当て今の入間郡域に属する地方にありし、独立の諸村、大凡三百六十有余、維新の後多少の併合ありと雖、未だ三町四五十を下らざる也。 此中大なるあり、小なるあり、其大なるは旧の一村を以て新なる一の自治体となすに足る、入間川町、宗岡村の如き是也。 其稍大なるは二若くは三を合して、以て新なる一の自治体となすべし。 霞ヶ関村、元加治村の如き是也。 其小なるものにして偶々沿革を同くし、若くは常に協同し来りしものの如きは宜しく其儘に之を合して、一の自治体たらしむべし。 入西村、毛呂村の如き是也。 其従来の慣例を稍異にして、地勢の差異あり、交通の便否あるものゝ如きに至ては、円満なる団結往々にして困難なるべしと雖、之れ又止むを得ざるの数、多少の不便を忍て、唯自然の融合を期すべきのみ。 蓋し旧村落を合して、新意義に於ける一町村を作るが如きは、到底多少の犠牲を免れざるを以て也。
単位たるべき団体、既に成る。 其上に立つべき団体亦生ぜざるを得ず。 蓋し、町村の団体たる、其区域甚だ小にして、一区に限局せらるるものあり。 之を以て地理と、沿革と、新なる必要とは往々にして、数町村乃至数十町村の協同歩調を要することあり。 之が為には、事項により特に数町村の組合を作るも不可ならず。 例へば水利組合、山林組合の如しと雖、然も永続して共通事務の経営をなし、且別に町村内の行政如何を監督すべき官庁あるを要する也。 而して是れ郡制の生ずる所以也。 上古我国に於ける郡制は寧ろ中央政府の命を、地方に執行するが為めに設けられたる所にして、大体の標準を人口に取り、山川形勢の便宜に依りて区割したりし也。 故に後世人口の増加するに至て、往々一郡を割て二三郡となせし例なきにあらず。 今日の郡制は之に加ふるに地方夫々の必要如何を顧慮し、上意下達に加ふるに、下情上聞の効果を奏せんことを期せり。 従て其組織たる全自治体にあらずと雖、亦半自治体の状を得たり、之を以て郡の区割は大体に於て沿革を参酌して、而して後に時処様々の便宜如何を稽合し、法律を以て其境界廃置分合を定むることゝせり。 歴史的に之を見れば今の入間郡は、旧入間郡と、旧高麗郡とを主とし、 比企郡植木村を加へたるものとすべく、 更に仔細に之を説明すれば、多摩比企二郡の境界は古来屡出入あり、明治に至ても二三の小村の受授交換ありしなり。
思ふに入間は大郡也。 土地の甚しく大なるにあらず、人口の極端に多数なりと云ふにあらず。 郷土の破格に富裕なりとなすにあらず。 然れども此等のものを平均して而して集積し得たる所のものに至ては、之を大と称して又不可あるを見ざるべき也。 入間は大郡也。 今左に所轄町村名を郡衙に於ける区分法に従て、列記せん。
但第二章以下に於て本書が採る所の区分法は、聊か右と異にせるあり。 蓋し本書説述の便宜に出づ。