区制及郡制

明治の始、小藩割拠し、猫額の地夫々境を異にするの時に当ては、県制内の区分を要せずと雖、明治四年入間県の下に一円所轄せらるゝに及び、茲に区分法は案出せられ、明治五年一月大小区の制発表せられたり。 此大小区は六年熊谷県に移れるの後も依然として存続し、唯旧群馬県の大小区には北第何大区何小区と冠し、旧入間県の大小区に南第何大区何小区と冠したり。 今左に明治七年八月に於ける熊谷県の大小区(入間郡に関係あるもの)を記載せん。 (上出の数字は小区也)

南第一大区(入間比企の内)

一、(一大区一小区)

二、(一大区二小区)

三、(一大区三小区)

四、(一大区四小区)

五、(一大区五小区)

六、(一大区六小区)

(以下比企郡)

七、八、九

(比企郡)

南第二大区(入間新坐の内)

一、(二大区一小区)

二、(二大区二小区)

三、(二大区三小区)

四、(二大区四小区)

五、(二大区五小区)

(外新坐郡)

六、七、

(新坐郡)

南第三大区(入間の内)

一、(三大区一小区)

二、(三大区二小区)

三、(三大区三小区)

四、(三大区四小区)

五、(三大区五小区)

六、(三大区六小区)

七、(三大区七小区)

南第四大区(高麗秩父の内)

一、(四大区一小区)

二、(四大区二小区)

三、(四大区三小区)

四、(四大区四小区)

五、(四大区五小区)

六、(四大区六小区)

七、(四大区七小区)

八、(四大区八小区)

九、(四大区九小区)

(以下秩父郡)

十、(四大区十小区)

南五大区(入間高麗比企の内)

一、(五大区一小区)

二、(五大区二小区)

(比企郡)

三、(五大区三小区)

四、(五大区四小区)

五、(五大区五小区)

六、(五大区六小区)

七、(五大区七小区)

八、(五大区八小区)

(比企郡)

南第六大区より南第十大区までは今の比企、大里、児玉、秩父諸郡に属す。

大小区何れも区長あり。

明治十二年四月大小区の制を廃し、郡役所を設け、郡の範囲は大抵古制に従て之を定めたり。 此に於て入間郡あり、高麗郡あり、両郡を併せて、 入間高麗郡役所を川越町に設く。 此に於て郡衙の基礎始めて開け、其後大岱村を以て多摩郡の日比田村と交換し、小用村を以て比企郡の麦原古池二村と交換し、 明治二十九年四月更に比企郡植木村を併せ、 而して入間高麗両郡を一として、入間郡と改めたり。